もしもの話

今日までに沢山の選択をしてきたわけですが、あの時もっとこうしていれば、あの時あんなことを言わなければと、選ばなかった道や、選んだことで生まれた後悔を悶々と思い出している。

 

そのどれもが私自身が未熟で、自分勝手な意見で、相手に嫌な思いをさせてしまったなと思う。

 

例えば、今の私だったら。

あの時の出会いや別れ、過去に経験した人生の岐路と呼ばれるような場面で、どんな言葉が言えるだろう。

 

そんな後にも先にも有り得ないような後悔と期待から生まれるものは何もなかった。

 

そして"例えば"という言葉はとても無責任だということに気づく。

 

喧嘩したことも、誰かと笑いあったことも、悔しくて泣いたことも、もしもの話をすることは、過去を受け入れないというか、なかったことにしようとしている感じがする。

 

何かをしてもらったときには、ごめんねよりもありがとうと言ってもらえたほうが嬉しいと伝えてくれた人。

 

喧嘩したことがどうしても忘れられなかった、ずっと謝りたかったと伝えてくれた人。

 

自暴自棄になって食欲がなかったとき、夜中に起きたことに気づいて作ったご飯を温め直してくれた人。

 

どんなときも側で応援して言葉をくれる人。

 

今日に至るまで、沢山の人と出会い、別れてきた。今の私は、この人たちが教えてくれた優しさを、また誰かに伝えることができる。

 

過去をなかったことにはしたくない。

もしもの話をするのをやめた。